“極めるのはあんた自身やねん!” と言う記事に、たくさんご反響頂き胸アツです。
ありがとうございます。
久しぶりに、熱い長文コメントも頂きました。
そしてまた、読んで頂いた方々の内なる言葉を聞くうちに、もうちっと。。。
付けたしたくなったので書きます。
目次
先人たちが築き上げてくれた社会という基盤の上に、今、私たちは日常生活を営むことができ、その恩恵がどれ程ありがたい事か、戦争体験の無い私は、しっかりと味わっているようで、それは自己満の世界かも。
祖父母世代の方々には
「甘い!ぬるいわい!」
と言われても、仕方が無いかもしれません。
でも、少なくとも、私は『人と同じ』『平均的』『一般的』と言われる事に、ちょっと天邪鬼に反抗してみたり、疑いの眼差しを持って生きてきました。
見た目も含めてですが(笑)
私たちのうち、どのくらいの人々が、当たり前の日常に見える光景に、疑問を抱いたり、自分の視点を持って見ているのでしょうか。
右向け右の精神が良く働くこともあれば、創造力を発揮できなくなってしまう恐れもある事は、調べずともイメージできますよね。
『現行の与えられたシステムの中でいかにうまくやっていくのか?』
と言う事に徹するのは、一見、とても効率的に見えます。
ですが、そのように与えられたシステムに乗っかって
くるくるカタカタ。。
まるでハムスターのごとく、車輪を回す事だけを熱心にやっていて
この先、どれだけ “あなた” という人格は確立されるんでしょうか。
アメリカの政治学者ハンナ・アーレントは、ナチス政権時代の大量虐殺において主導的な役割を果たしたある男と対面し、大きなショックを受けたそうです。
なぜなら。。。
“あまりにも普通の人”だったから。
凶悪とは、何か特別に、異質なもののように感じますが、アーレント曰く
と、このように述べています。
悪はそもそも、大変陳腐である、と。
その陳腐さは、私たちの誰もがそうなる危険性を含んでいる、という警告のようなメッセージ。
考えさせられます。
人類史上、最も凶悪とも思える悪事は、怪物だから、そうなった、と思えたら
・・・きっと楽です。
でも、この例を見ても、
だからこそ
あたり前や、一般的、普通は・・・と言った概念に身を任せること無く
『自分の視点と思考を持ち続けること』
それが、怪物と真人間の境目に思えるのです。
怪物を目指してる人は、読んでいる方の中にはいないと思いますが…
やっぱり、あなたは
あなたで居なくては、と、言いたい!!!