これから少しずつ、私のこれまでの
ストーリーを書き記していこうと思います。
書き起こし、振り返るにつれ
自分でも、どうして今
“女性(ママ)の仕事と収入”に
こだわるのか
どうして、いつも
何かにトライする
パワーがみなぎるのか
答えに繋がるモノが見えた気がします。
+——————————-+
私は、公務員の父と、専業主婦の母の間に
4姉妹の3女として生まれました。
生まれつき、虚弱体質で少食でガリガリ。
見た目を裏切ることなく
しっかり小児喘息を持っていました(笑)
小さい頃に、一番覚えている景色は
布団に寝転んで見つめていた天井の模様
かもしれません。
そのぐらい、大袈裟でなく
季節の変わり目を問わず、年中熱を出したり
発作をおこしたりしていて
幼稚園に久しぶりに登園しても
知らない転校生が増えていたり
仲良くしていたお友達が
引っ越していたりするような
ひとりタイムトラベラー気分(笑)を
何度か味わっています。
おかげで、うまく人の輪に入れないし
家の中ではひょうきんでお喋りな一面も
あったけど、外では無口でうつむいている
事が多かったです。
そして困ったのが、喘息の発作。
始まると、吸っても吸っても息が吸えない。
子どもとは単純で、本当にこのまま、
私、死んでしまうのかと、、、
夜中に苦しくて目覚めて
家族が寝静まっている中、ずーっと
ひとり、朝まで眠れなかった恐怖を、
今でも覚えています。
+——————————-+
もうひとつ、幼少期のワタシを表す
キーワードが“まじめ”
曲がった事は大キライだったし
先生や親の言うことは、きちんと聞く
いわゆる「良い子」でした。
幼稚園の卒園式の予行練習。先生に、
「証書を貰いに行くのに、前まで
15歩で行くのよ~」
と、言われたら、本番でも
しっかり教えを守り・・・
1、2、3…15歩!!!
その場でお辞儀をして、マイクに顔面を
ぶつけたくらいの、バカ真面目でした(笑)
~嗚呼、痛い思い出~( ;∀;)
+——————————-+
そしてこれもまた、私の痛~い思い出。
それは小学校1年生の時。
あるポカポカした昼下がりの空を覚えて
います。青くてきれいだったなー。
でも、私の心は真っ黒け。
だって、前の日に、お母さんに言われて
しまった。
「あなたは、堕ろすハズの子だったの」と。
いや、“堕ろす”ってそんなん…
1年生、漢字も書けませんし…
言葉の意味も、ようわかりませんし…
なのに、なんでか。。。
「いらん子」って意味か。って。
わかったんですよね。
ニコニコきれいで優しかったお母さんの
“真顔”は、それだけでも
破壊力バツグン。
ワタシ、何か答えたのかなー。
未だに思い出せません。
でも、覚えているのは、翌日の青い空を
見ながら、自宅の2階から飛び降りて
しまおう、と思ったコト。
あ、安心して下さい^^
未遂だから、こうやって今、生きてます(笑)
~そんな、ココロが痛~い思い出~
+——————————-+
大人になり、私は、そんな事を言った
いや、たぶん“言ってしまった”
母のことを、これっぽっちも責める気は
ありません。
むしろ、大変だったんだね、って
ナデナデしてあげたい。
まぁ、だってね。どんな経緯であれ
今、私は、ここに居るからです。
素直に、父と母には、感謝しか無いです。
続きはまた明日・・・☆