「人」と「数字」を おもしろいほど動かすセールスライティングとマーケティングのハナシ

まついまゆプロフィール

目次

まついまゆ の これまで

はじめまして。
日本一ぶっとんだコピーライターと言われている、中卒元ヤン3児の母、まつい まゆ です。

末っ子がお腹にいる2009年、妊婦で起業したというところが、驚かれる私の起点です。

現在は、
「人」と「数字」を動かす、心理学や脳科学に基づいたセールスライティングを得意とし、売上200倍のコピーを書く、コピーライターとして活動しています。

また、独学とEC経験で身に付けた「無駄を省いた現場で生きるマーケティングノウハウ」を基に、業種、業界を問わず、個人事業主から法人企業まで、ビジネスサポートをさせて頂いております。

そんな私のキャリアとライフスタイルに興味を持って頂いた方は、少々、お付き合い下さいませ。

16歳から社会に出ている私ですが、そもそも、起業願望なんて、毛頭ありませんでした…

私の情熱、ここに在り

15歳の私は、「美容師として、世界に名を馳せる活躍をするぞ!」と、意気込んでいました。「高校くらい行っときなさいよ」と言う周りの助言にも迷うことなく、高校受験すらせずに、真っ直ぐ、美容界へ歩みます。

寝る間も惜しんで働き、初任給は確か、技術講習費などの色々なものを差し引いて手取り7万円くらいだったと思います。

それでも、周りが高校生だった当時には、大金でした。とにかく早く一人前になるんだ!と言う想いで、営業時間を終えてからは、ひとり、薄暗いお店の中でウィッグを相手に練習、練習…
そのまま泊まり込んで、朝、シャンプー台で洗髪だけ済ませ、そのままお客さんをお迎えするような事も、珍しくは無かったです。

肌が弱いので、肘までただれて、ひび割れてしまった腕を、夜な夜な薬に浸す日々は、辛く無かったと言えば、嘘になるかもしれませんが…でも、師匠の技術を目を凝らして盗んだ結果、各地の大会で賞を取り、若干16歳にして、日本の代表となり、アジア大会で準優勝の成績をおさめるほどになりました。

どうやら、新聞にも載ったそうです。
元ヤンだった自分が、めでたいニュースで新聞に登場するなんて!(笑)

ライフイベントがいかに仕事へ影響するか

仕事は順調と言えたと思います。
その後、路線の違う美の世界へ興味が沸き、某カリスマ有名サロンへ、求人募集もしていないのに、売り込み電話(笑)面接の約束へこぎ着けたわけですが、営業終了後に始まった面接は、なんと深夜2時まで盛り上がることに。その場で採用が決まりました。

そこで、サロンワークより、撮影の面白さに魅了された私は、そのままフリーのヘアメイクアップアーティストへ転向。当時から独学でパソコンが趣味だったので、つたない自分のホームページを作り、作品を掲載し、ひとりで営業し、クライアントを開拓していました。

今思えば、この体験が、私の起業の原点かもしれません。

私にとって、天職だと感じるほどに好きだった美容の世界。19歳でそれなりのキャリアを積みながら、順調に見えた矢先、母が倒れました。

ステージⅣ、末期の膵臓がんでした。
仕事をセーブしながら、家族交代で看護する日々…。
結局、母は、余命1ヶ月と宣告されたにも関わらず、3ヶ月という期間を生き抜き、オマケで頂いた時間は、家族が結びつくには十分でした。

▶母とのエピソードはこちらにも

長生きだけが、人生の目的ではない。

そうは言っても、母を失った喪失感は、予想以上に大きく、妹はまだ中学生、家のことは?母の役割は?と、色々な現実が押し寄せていた激動の時、その渦中で出会った人と結婚。そして、新しい命を授かります。

『手に職あるから大丈夫』『実績積んできたから大丈夫』そんな甘い考えは通用しませんでした。

妊娠すると、女性の身体は大きく変化します。それでも仕事を続けていた私に医者が告げたのは『切迫早産の危険性』
重いものを持ち、移動し、立ったまま仕事をする事の多いヘアメイクのお仕事は、知らず知らず、お腹の赤ちゃんに負担をかけてしまっていたのです。

母になる事、自分の夢、天秤にかけられるような種類では無く、どちらも大事なのに、選んだり、諦めたりしなければならない現実は、恥ずかしながら、若い私にとっては、苦しみの時間でした。

でも、そんな葛藤すら忘れさせてくれるほどに、長女の誕生の喜び、大変だけども幸せな育児の喜びは、私を、母として成長させてくれました。

よく、“ 好きなことを仕事に ” と、言います。
私も、自分の子供たちには、そんな夢をもって欲しいと思います。

でも、社会の仕組みは、何百年もの積み重ねで、ある程度決まってしまっていて、この世界の現実は、もともとが、いびつで不平等です。そのルールを自分一人の力で覆すことは、なかなかに骨の折れるものです。

何度か、美容界へ戻ろうと試みた私は、2つ返事で戻れることを期待していました。
でも、突きつけられた現実は

  • お子さんが熱出したらどうするの?
  • 土日を休みだなんて人はいらないんです
  • 夜遅くまで預かってくれる所を確保して下さい

と、私が願う『育児もしながら仕事もする』という環境を、得られるものではありませんでした。

かと言って、働かなければ生活もできず、私は、『とりあえず雇ってくれるところ』が自分の行き先だと悟るのです。

トロフィーは過去の栄光。追い込まれた先に、起業

そんな私にとって、ずらりと並んだトロフィーなど、過去の栄光でしかありませんでした。
そのキャリアが活かせないのなら、また、ゼロから積み上げるしか無いのです。

パートから、派遣、契約社員、正社員、あらゆる働き方と業界を渡り歩きましたが、ワンオペ育児との両立が、かんたんな場所など存在しませんでした。

そして、毎日、ゆっくり座る間も見つけられないくらいに、目の前の家事、育児、仕事に翻弄される日々の中、3人目を授かります。

嬉しいのに、素直に喜べない自分が居ました。私は、いったい、いつまで、育児にも暮らしにも、自分の人生にも満足できない日々を過ごすのだろう、と。
働けば働くほど、時間を失い、稼いでも保育料へ消え、子ども達と過ごす時間を犠牲にする対価に見合っているとは思えませんでした。

私が限界を迎えるか、それとも、子どもが先か…
そんな思いが過った時、このままではダメだ!無い環境は『自分で創るんだ』と、立ち上がります。

専業主婦で5人の子供を育て、50代で旅立った母の生き方も、私に「女性の働き方」「育児と自分の人生」を考えさせる、大きな影響を与えてくれました。

独り暴走の先に気付いた、コピーライティングの威力

『パソコン1台で稼ぐ仕事』
当時、私の脳内を占めた言葉は、コレでした。

お腹の子を無事に出産し、その後の3年ほどは、たっぷりと手が取られる事を、上の2人の育児で痛感していたからです。
母の役目をしっかりこなして、仕事のキャリアも、あの時のように手放さない。
欲張った私の決断は、くじけそうになる私の心を何度も奮い立たせてくれました。

初めは、ビジネスの『ビ』の字もわからなかったものですから、自分がわかる分野で起業しよう、と、EC業界へ足を踏み入れました。
なぜなら、単純に『物を仕入れて売る』という行為なら、自分にも理解できたからです。
もちろん、仕入先も、販売先も、コネなども全くありません。

本を何冊も読み、ネットショップを独学で立ち上げ、仕入先もゼロから開拓し、ある時は、海外のメーカーに、翻訳ソフトを駆使して英文で交渉し、日本の総代理店契約にまでこぎ着けた事もあり、

また、ある時は、フリーの作家さんをたくさん契約し、販売代理をして、主婦の人に月40万円程の利益を渡すことも。

数字を積み上げる楽しさも知り、そんな独り暴走を続けていた事が功を奏したのか、3年目で年商8桁を超え、某大手ECモール2億5千万点以上の商品の中で総合第1位を連続獲得するという快挙を、たった独りでやってのけ、担当者をひっくり返らせたのです。

その担当者よりもビックリしたのは私です(笑) なにせ、大手商社や車などの高単価メーカーを抜き、総合1位だったのですから!おかげで、一晩で700件を捌く事態となりました…嬉泣

一方、長くやれば、色々な事がおきます。多額の広告費を散財した事もあれば、大量の仕入れが無駄になった事もあります。札束が返って来なくなった事もありました。
でも、諦めずに続ける事ができたのは、子どもとの時間を確保しながら稼ぐ金額を伸ばして行けたからに他なりません。

好き、とか、やり甲斐とかって、あるに越したこと無いですが、それ以前に、働かないことには、子供たちを養う事ができません。
私の場合、そういう感情は、結果を出して初めて、後からついて来たものなんです。

そんなEC時代に、中でも、力を注いで、一番手応えを感じたものが『コピーライティング』です。
当時は、名前すら知りませんでしたが、ある時、『良いものなのに売れない』と言う愛すべき商品を、どうしても売りたくて、あの手この手と試していました。

写真を変えれば、価格を変えれば、媒体を変えれば…。
多い時、7店舗を独り経営していましたが、どのお店でどのように売ろうとも、なかなか売れない。

そこに差した一筋の光が『キャッチコピー』でした。
その商品の持つ魅力、見込み客へどんなキーワードが響き、他商品と差別化できるのか。
それを文字に込めました。

途端、それまで殆ど売れる事の無かった商品が、売上200倍を超える、大ヒット商品となったのです。

文字の威力恐るべし

そんな自身の経験もあり、現在は、コピーライターとして、また、WEBマーケターとして、IT スキルを駆使し、起業家ならびに経営者、企業様のサポートをさせて頂いております。

お陰様で、コンサルティング・プロデュース事業としても1ヵ月で1,500万円を売上、クライアントに23日間の指導で300万円以上、17日間で100万円の売上達成、など、ゼロイチベースであっても、大きな結果を生むご指導をさせて頂いております。

「文字」は、この先どれだけ文明が進化しても、絶対に消える事の無いものです。

映像メディアも、音声メディアも、その土台は「文字」です。
人との会話、対話も、その土台は「文字」です。

日本で暮らす私たちは、日本語のプロなわけですが、実は多くの人が、伝える順序や、文字の表現方法において、正しく伝わらない不利な結果を招いています。

少し変えた『文字』で、売上が200倍に跳ね上がった。
これは、私自身が体験し、今も文字に魅了されるルーツでもあります。

綴る言葉ひとつが、温かい陽だまりのように感じる事もあれば、目に突き刺さり、心をかき乱す、鋭い針のように感じた事は無いですか?

文字とは、それほどまでに、恐ろしい力を秘めています。

私は、そんな文字を綴ることを愛する、ひとりの人間として、この文字に向き合い、日々、お仕事をさせて頂いております。

また、ここに来て、美容界時代に培った、人の外見をプロデュースする視点も、プロフィールコピーやキャッチコピー作成の視点に、とても役立っています。

その「人」「商品」「サービス」の、どんな所が見込み客の心に響くのか。どのように魅せれば、もっと光り輝くのか。これは、美容界で得た手応えと同じだからです。

スティーブ・ジョブズが言ったように、あなたの人生も、商品も、サービスも、点と点が、線で繋がるようにできているのです。

あなたが、整理できない情報であっても、私にはその『線』が見えます。

ここで、私の「文字」に出逢って下さり、ありがとうございます。

良かったら、時折綴る、あなたへのメッセージも、受け取って下さいね。

▼まついのビジネスマインドセット ※以前ラジオで話したものから抜粋