“私を見て”
生きていれば、誰もが一度は感じた衝動
なのでは無いでしょうか。
承認欲求。それは、赤ちゃんが泣いて
存在をアピールするように
生まれ持ったものなのかもしれません。
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現代社会のダイナミクスに則って見ると
それは広く、子ども世代まで浸透し
例えば、小学生Tik tokerが誕生している
現実があります。
数日前まで、ふつうにランドセルを背負った
小学生だったのに、SNSをキッカケに
街を歩けば、カリスマTik tokerとして
追いかけられる存在になるわけです。
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少し前まで、そういったインフルエンサーの
世界は、高校生~二十歳くらいだった
ように思います。
それが、数年で小学生(笑)
スマホの普及が完全に後押ししているワケ
ですが、親としては、少し心配にも
なりますね。
※幼稚園児くらいも実際には居ますが
親がやっているだろうとの事で除外します。
現代には幸運な事にYoutubeもあれば
Twitterもあるし、Facebookや
Instagramもしかり。
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何かを発信したければ、世界中を相手に
“見せびらかす”事ができるワケです。
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・・・と、いう事は
誰でも、スターになれる可能性がある。
・
・
・
論理的には、そうですね。
誰だって、たった一晩で、スターになる
“可能性”は、ある。
でも、そんな誘い言葉を疑ってみた事は
ありますか?
何らかの形で、SNSで集客をしたり
発信作業をした事がある人は、すでに
お気づきでしょう。
事実は、真逆です。
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“誰もが自由に発信できる現代だからこそ
誰でもスターになれるわけでは無い”
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これが正しい答えです。
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そこには、生まれ持った才能や、美貌
斜に構えた独特の考察力やカリスマ性
昔から謳われているような
「スターの条件」が揃っていて初めて
注目の的になるわけです。
ジャスティンビーバーは、Youtubeが
あったからスターになったのでは無く
才能があったからスターになったんです。
あれ程までに強く“私を見て”という
メッセージを感じる迫力には
それまでの劣等感や、下積み時代の苦労が
底知れないパワーに変わっていたんだと
思います。
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“そんなやり方は、ワタシらしくない”
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そう言って、切り捨てるのは自由です。
誰しも、選ぶ権利があります。
そして無理を押し通すことは良くないです。
ただ、どれだけツールが整った時代であれ
受け身で居て、幸運が勝手に降ってくる
ことを待ったり、誰かや何かが、景色を
変えてくれることを待つのは
何という、時間の浪費なのだろう。
と、思うのです。
魔法がかかり、シンデレラになれる日を
待つのか。
草木をかき分け、少しでも自分の足で
進もうとするのか。
どちらの未来に、星が輝くのでしょうか。